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音のない言葉

人は言葉で物を考える、という説がある。
確かに自分が思っていることを
言葉を使って心の中で表現していたりすることは多々ある。
したがって
語彙力の乏しい人は、思考力も乏しいのでは。
ある意味正しそうだが
さすがにちょっと安直な気がする。

実際、言葉を知らない赤ちゃんでも、物は考えられるし
理系学者の多くは母国語が不自由だったりするし。
てことはもともとの人の思考ってのは
言葉とは関係なく存在するはずじゃ?
実際自分の思考を注意深く意識すれば
映像的・直感的な思考はもちろん無音だし
論理的な思考においても、
結構言葉を使わないでそれを組み立てていることがわかる

それでも言葉と思考の関係を考えてみるのは面白い

例えば「早い」と「速い」は
漢字こそ違うが、訓読みは等しい。
つまりもともと日本では
それら二つの単語の違いを意識しないで使っていたっていうことじゃ?
実際、会話の中において自分がどちらの意味で
「はやい」としゃべったかなどいちいち確認しないし。
つまり私達は、時間が早い、ということと、スピードが速いということを
同じひとつの現象だと認識しているということになる。
逆にこれらに二つの言葉が用意されている中国、英語圏とは
そういった現象の捉え方すら異なるのかもしれない。
「見る」「診る」「観る」にしても同じことである。
逆に「辛い」を「hot(熱い)」
「方法」を「way(道)」と表現する英語圏における
それらの意味のとらえ方を想像しても面白い。


ところでさっき、言葉に頼らなくても
論理的な思考は組み立てられるといったけど、
もし、それに用いられている「音のない言葉」全てを
的確に表現する言葉があれば、きっと凄い便利だと思う。
最近、数学を勉強してて、あるいは教えていて
日本語の不便さを痛感することが多い。
例えば数学の論理記号を使えば
(∀ε>0)(∃K∈N)(∀k>K)(∀x∈W)(|f_k(x)-f(x)|<ε)
と割と簡潔に書けることを、日本語で説明しようとすると
「任意のε>0に対して、k>Kならば、|f_k(x)-f(x)|<εが
すべてのWの点xについて成り立つように自然数Kが取れる」
となり、長い上にかなり不明慮。
ここで、もともと日本語が
数学の論理記号のような緻密な形態で構成されていれば
このようなまどろっこしい説明を必要とせずに
スムーズに数学を理解できるかもしれない。
想像もつかないけど

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