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「はんださんは一年生と一番仲がいいですね」と言われ、
えっと思う。

自分はもともとそんなに人と仲良くできるような人間ではないはず。
基本的に友達は少ないし、関係は浅い…

以前イトキンさんと
「人間には大きく分けて6種類の人種がいて
自分が仲良く慣れるのはそのうちの一種類だけだと思う」
なんて話しをしたのだが
それくらい自分が仲良くなれる人種は少ない。
たまたま部室が
自分にとって親しみやすい人種のあつまるパラダイスなのだろう。

ではその人種だとか、
人の持つ価値観を決定しているものは一体なんだろう?
そう思って、最近(いや、けっこう以前から?)
人それぞれのがもつ人間性、
その根源にあるものについていろいろ考え始めたのだが
これが不可思議なものだ。

例えば
毎日授業に出てノートをとる人って、なにを考えているんだろう。とか。
真面目な人だ、と言えばそれまでだけど
その真面目さの根源って何?
少なかれ自分にも真面目さのかけらは備わっているが
さすがに完全出席だけは絶対出来ない。
それが平気で出来るその人は
きっと自分には見えていないものが見えている。
そう思うと、親しいと思っていた人がとたんに遠くの人に感じことがある。
別に真面目な人と価値観が合わないとかそういうことを言っているのではなくて、
「なんでこの人はこういうもの(音楽・趣味・教科)が好きなんだろう」とか
「なんでこんなに他人に優しいんだろう・自分に厳しいんだろう」とか
以前は”そういう性格だから”と単純に思っていたものすら
深く考え始めると気になってしょうがない。
(例えば、親しい友人が実は東大生でしたって聞くと、ギョッとするじでしょう?あれと同じ感覚を覚える。)

一方で趣味・特技・文理までまるで違う人が
同じ話題で盛り上がり、同じものをみて同じように感じ
同じように笑える。
どうしてって思ってしまう。
これってあんまり当たり前なことじゃないよ。

例えば
「俺は高校のとき、昼休みに体育館で遊んだ」
これを聞いてみなさんはどんな様子を想像します?

おそらく多くの人は、”自分の出身校の体育館”の絵を思い浮かべたはず。
こういった一つの言葉から連想するものをとってみても
小からぬ差異が見られる。

きっと、同じ空間や時を共有して、語り、笑いあっていても、
実は見えているものはまるで違う。
”みんな同じように感じている”なんて、きっと錯覚なんだろう。

となると、本当の意味で「価値観の合う」ということがなんなのかわからなくなる。

本当は
自分が他人に完全に共感することなんて絶対に出来ないし
他人に自分の心を完全にわってくれることも絶対にないのに




これを憂うのは貪欲かもしれないが、
なんだか部室で過ごす時間の意味を考えてしまう。




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コメント

もしハンダが一年から入っていたらどうなっていたのだろうか
もちろんこれからどうなるかは分からないけど、
人生において、これほどまでに依存率が高くなってしまう居場所はきっともう無いんだろうな~。

って引退するくらいの時期によく考えてた。
あと一年、あとたった一年。俺が部室にいられるのは。
まるで死の宣告のようだよ。
かつてのハッシーさんの気持ちがようやく理解できる。
二人とも留まりますか?むしろふっk‥‥

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