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科学と宗教

エホバ教の人は宗教上の理由から輸血をすることができないらしいです。
手術をしないと助からない状況でも、輸血をするくらいなら死んだほうがましと考えるのだそうです。
本人がそれで死ぬなら自業自得ですが、自分の子供にもそれを強制するのですから、かなり考え物です。

これをもってエホバを否定するのは簡単な気がしますが、実は結構深い問題があったりする。

ドナーカードってあるじゃないですか。
私は肝臓とか腎臓とかを他人に移植していいですよ、いけませんよって言う意思表示のカード
俺思うんだけど、死んだあとの自分の臓器ってそんなに大事ですか?
脳ならともかく、その辺の臓器に魂なんて宿るわけないじゃないですか。
それでも今の世の中には「移植しない」って言う選択肢が存在するんですよ。

別にその事を否定しているわけじゃないです。
でもそれって、よく考えるとエホバ教の考えている事と大差ない気がするんですよ。
神聖視するのが血液か臓器かの違いでしょう?
だから臓器を移植しないといっている人は、
あなたが移植をしない事で助からない命があるのだとしたら、
エホバ教を否定できないはずです。

少し古い話かもしれませんが、クローン人間が問題になった時期がありますよね。
クローン人間って言っても、ただ単に人工的に一卵性双生児を作るだけの話ですよ、
おれ自身はクローンのいったい何がそんなに問題なのかと当時思っていたんですが、
俺の友達にクローン技術に猛反対している人がいて、すこしカルチャーショックでした。
「クローンは魂の冒涜だ。いくら科学が進歩したからといってやっていいことと悪いことがある。」
魂は遺伝子に宿るのでしょうか?私はそうは思いませんが・・・
(というクローン問題の論点はそもそもそこじゃない気がする)

もし将来的にクローン技術による医療が発達して、
それによって助かる命が大勢出てきたとしたら
彼らのような人たちがエホバ教の信者のように見られる時代となるのでしょうか?






論点はすこし変わりますが、
「宗教と科学の違いってなんだろう?」
彼と討論をして以来、よくそんなことを思います。

「世の中には良い宗教もある。宗教で救われている人間もいる。
宗教が正しくて科学が一方的に正しいなんて事はない。」
中庸:物事は程々が良い。
彼がよく使っていた事なんですが、
果たして科学と宗教の間を取ることって中庸っていえるんでしょうか?

(こっからはかなり個人的な見解になりますが)
科学は宗教の対義語ですか?あるいは数ある宗教の中のひとつにすぎないのですか?
俺はそうじゃないと思う。

科学を辞書で引くと「合理的知識の体系」とあります。
異なる人間が異なる神を信じていたとしても、
同じ人間である以上、最低限の共通な合理的見解というものがあるじゃないですか。
きっとそういうのを積み重ねたのが科学ということなんでしょう。

だからどこの世界でも慣性の法則はあるし、円の面積はπr^2だし。
そういった意味でも科学を信じる事と、宗教を信じる事って言うのは根本的に違う事だと思うんですよ。
つまり宗教が「信じるか信じないか」だとしたら科学は「理解できるか理解できないか」でしょう?

(*実は厳密に言えば科学にも信じるか信じないかの部分は存在するので、その点から根本的に宗教を否定する事は不可能なんですが・・・)

なのに世の中、
宗教と科学を同じ次元で考えている人があまりに多すぎると思う。

だから
多くの人が自分は宗教とは無縁だと考えていながら、
実は妙なところで宗教的だったりする事に
気が付いていない。

それが微視的には問題なかったとしても、
社会全体の生産性の面で見たら、
かなり大きな失点になってると思うんですよ。

俺は現在のそんな風潮が嫌いです。



宗教なんてもう必要ないよ。

そりゃあ大昔は宗教で救われる人もいただろうけどさ、
でもそれは人が世界について何も分かっていなかった時代での話で、

人が何で病気になって、どうやったら治るのかとか、
どうして地球が出来て、生き物が生まれたのかとか、
太陽の寿命は何年で、宇宙の大きさはどのくらいなのかとか、

そういったものが科学的に分かっちゃった現代で、
宗教がある意味ってあるんですか?

神様が何人もいたって戦争が起きるだけ、
霊魂を信じたって詐欺にあうだけ、
天国を信じたって自殺者が増えるだけ。


もっと危機感を持ったほうがいいと思う。


う~~ん。おかしいな。
今回は「命はどこに宿るのか?」って話がしたかったんだけど
なんかかなり脱線しちゃったからもういいですorz
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コメント

宗教はものによりますが、生きる目標とか、死後のことを説くことが多いです。
そういった、本当は誰にもわからないはずで、考えても不安が募るような疑問に
「こうだよ」って答えてくれて、納得して信じることができれば、
生きることはすごく楽チンになるし、安心して死ぬこともできると思います。

自分の存在意義などについて、
絶対的な答えが見つからないと生きられない人も世の中にはいるから、
私はいつの時代も宗教は存在し続けると思います。
科学が道具だとしたら、宗教はその道具を使う精神のようなものかもしれないね。
だから(小さい意味での)宗教はきっとなくならない。
それでも宗教と科学の違いを常に見極めようとする心は大切だと思う。
輸血は血の臓器移植ではないでしょうか。
ブログのコメント拝見しました。お気持ちは良く分かります。私もそう考えていた頃がありました。
でも、日本人は臓器移植を先進諸国の中では異様なほど導入しませんしその障害となっている
のは日本人独特の宗教・倫理観ではなかったでしょうか。私達の日本では子供が臓器移植に
よって助かる事になっていても、助ける事ができず死んでいるのです。でも、日本人は決して
狂信的に臓器移植を拒否しているのではありません。それは、人間の命を維持するために人体の
パーツをオイル交換や部品交換のように扱ってよいのかどうかという事が絡んでいるのです。

因みに、医療関係者の現況は信者の積極的な広報活動と様々な判例により、輸血治療は
不輸血治療と選択の範囲であるとの認識になりつつあります。それは血液製剤について
エイズの権威であった帝京大の阿部教授が「非加熱」を唱えていた状況で「加熱製剤」を
希望してもなかなか入手できない状況があっても患者が望むなら「加熱製剤」を使うべきだ
という一般の人から見れば当たり前のように思えるポリシーによります。

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